ウォルター・ホワイト症候群
ここのところ僕は自分の将来について悩んでいる。とりあえず大学に入学したのは良いが、どんな大人になるかは想像がつかない。学生の陥りがちなパターンだ。そんな悩みを抱えつつ大学構内をぶらついていると、大学の漫才サークルのライブの看板が目に入った。気晴らしにちょうどいいじゃないか。
受付を済ませ座席に着くと隣にちょっと変わったおっさんが座っている。くたびれた服を着てその顔は非常に険しい。池井戸潤原作のドラマの主人公のようだ。そんなおっさんに意識を割かれつつもライブは始まった。
「「どうも~!」」
軽快なテンポの曲が流れ、学生二人が拍手しながら舞台に登場する。客はそれを控えめな拍手で迎え入れる。
「今日もお客さん一杯で嬉しいです!女性の方多いですね!え~、端のお客さんから、美人さん、美人さん、一人飛ばして…」
という具合に様式美的なつかみのネタ振りをボケ担当がはじめる。その瞬間に事件は起きた。
「待った!!」
僕の隣の客席のおっさんが立ち上がって叫んだ。ざわつく会場。狼狽える舞台上の二人。声を荒げるおっさん。おっさんを見上げる僕。
「申し訳ないがそのボケをさせるわけにはいかないんだ!」
おっさん、迫真だ。
「…なんでですか!」
ボケの人、ビビりながらも言い返す。偉いな。僕なら怖くて言い返せない。
「君の人生はそのつかみのボケがきっかけで台無しになるんだ!!」
「なんでそんなこと言うんですか!!!」
「…俺は君なんだ!!!!30年後の君なんだ!!」
どうやらそうとうヤベー奴だ。となりで口を開けて座っているのは危険かもしれない。というか、そんなボケ一つで人生そんなに変わるのだろうか。いくらなんでも設定に無茶がある。
「君…いや俺はそのボケでいつも通り一人の女性を飛ばすんだ。そしてそれがきっかけでライブ後にその女性...いやカオリと話が弾み、付き合うことになるんだ。」
前列のカオリらしき女子大生が悲鳴を上げる。会場の空気がいよいよおかしなことになってきた。さっきまで退屈そうにしていた客も前のめりで事態を見守っている。
「…あの、付き合うことになるなら別によくないですか?」
ツッコミの人、その通りだ。たしかに問題なさそうだ。
「まぁ聞いてくれ。俺はカオリと付き合い、大学を卒業してすぐ結婚する。仕事も順調で子供も二人授かる。ヒトシとマサトシだ。」
とんでもないスピードで人生のネタバレを食らうカオリとボケの人。可哀そうだな。というか子供にダウンタウン二人の名前付けるくらい“お笑い狂人”だったのか。
「順調そうな人生に聞こえるだろうが、俺は間違いを起こす。未来の日本では違法のデジタルドラッグが大流行するんだ。恥ずかしいことに俺はそれに手を出してしまったんだ。」
「…カオリは関係ないじゃない!」
カオリの友人らしき女子大生が叫ぶ。
「俺が手を出したデジタルドラッグはカオリの友人、そう…君に勧められたんだ。カオリと付き合っていなければ君とも出会ってなかっただろう。」
絶句するカオリの友人。
そこで客の一人が思わず声をあげた。
「あのー…それでも本人が強い意志で拒否すれば良いんじゃないですか?」
至極真っ当な意見である。そして連鎖的に客席からおっさんへの叱咤激励が飛ぶ。
「そうだそうだ!」「人のせいにするな!!!」「おっさん!デジタルドラッグに負けるなよ!」
おっさんの目に涙がたまる。もうそこには過去の自分に責任転嫁する汚いおっさんはいない。ただただ猛省するきれいなおっさんが一人いるだけだ。
「俺が間違っていた。自分の罪を誰かのせいにしたくてタイムトラベルまでしてしまった。本当に申し訳ない。そして若いときの俺!どうか許してほしい。俺は未来でがんばって生きる!今は思いっきり漫才を楽しめよ!!」
おっさんはそう言い放つと強い光と大きな拍手に包まれて消えた。僕は足早にその会場を後にし、すぐさま理工学部への転学部届を教務課に提出した。デジタルドラッグの開発者になる夢を心に秘めて。未来の裏社会を牛耳るのは僕だ。